日本国内、海外の競馬場の訪問記です。こんなことしてていいのかなあ。でもやめられない。
そこに競馬があるから > ガルフストリームパーク競馬場 > ガルフストリームパーク競馬場 その1 〜アメリカ競馬事始〜
フロリダ州マイアミの青い空。白い雲。車は西へひた走る。
どうも。荷桁です。
滞っていた佐賀競馬場を片付けて、波に乗っています。
波に乗って、今回からは、なんとアメリカです。アメリカンドリームなのです。
・・・と、言われても何のことやらと思われるでしょうから、順を追ってご説明しましょう。
事の始まりは、2008年の年末のことであった...
当時、荷桁は暇を持て余していた。時を同じくして、大学の悪友Sも暇を持て余していた。
荷桁もSも学生時代の末期を向かえており、春には大学を追い出されることがほぼ確定していた。荷桁は若隠居になることが決まっていたし、SはSで春からの勤め先が決まっていたので、あとは卒業式を待つだけの身であったのだ。
荷桁もSも競馬とパチンコと酒が好きだったので、よく二人でつるんでは平日から後楽園のオフトに出入りしたり、南関東の競馬場に出かけたりしていた。そのあとはパチンコや居酒屋に行ってだらだらするのが唯一の楽しみだったのだ。
この頃にはさしたる授業もなく、何もない日はフルタイムでアルバイトをしていたので、大学時代を通して金欠気味だった荷桁にも幾ばくかの金銭的余裕ができていた。
そんな折、Sが「アメリカにでも行くか」と言い始めたのだ。
実はSというのが、かつて父親の仕事の都合でアメリカに住んでいた事があって、時間ができたときにはいつかまた旅行したいと思っていたらしいのである。荷桁は荷桁でいろいろな国には競馬を見るために行った事があったもののアメリカには行った事がなかったし、ある程度英語ができるSが一緒ならば心強い。かくして二つ返事でアメリカ行きが決まったのである。
思い立ったのが年末だったので実際の出発は1月の終わりになった。当然の事ながら、この季節のアメリカ北部と中部は極寒なので、南部に行く事とあいなった。
時間だけはあったので、どかんと2週間の日程を組んで、レンタカーでフロリダの先っぽからメキシコ湾沿いにずーっとヒューストンまでの道のりをドライブをする旅行にすることにした。
荷桁もSも競馬が好きなので、当然のことながら道中で開催している競馬場には必ず立ち寄ることとなる。
今回からのレポートはそんなアメリカ旅打ち旅行の途中で立ち寄った競馬場たちの記録である。
というわけで、2009年の1月、荷桁とSは飛行機でアメリカへわたった。乗り継ぎ一度を経て(その道中機内のビデオで釣りバカ日誌を5本も見てしまった)アメリカはフロリダ州、マイアミにたどり着いたのであった。
空港でレンタカーを借りて、真っ先に向かったのが、まず最初にご紹介するガルフストリームパーク競馬場なのである。
これが、ざっくりした前置きでございます。
では、前置きが終わったので、予備知識に移りましょう。アメリカ競馬のざっくりとした歴史についてここでご説明しておきます。かなり学問的な内容なので読み飛ばしていただいても結構です。
アメリカの競馬は競馬発祥の国であるイギリスからわたった人々が1600年代にはじめたとされる。
アメリカの競馬は当時イギリスで行われていたような長距離の競馬ではなく、村の通りや木々の間を通りけるような狭い道で、短い距離を走るというものが主流だった。
何故このような競走が行なわれていたかというと、まず競馬場とするような土地の確保がされにくい情勢だったことが挙げられる。当時植民地は食糧難が起こるような苛酷な環境であり、土地は農地に充てることが当然とされていたのである。また、持ち込まれた馬と、現地の小型馬が交雑した結果、全体的に馬が小型化し、短距離競走向きになっていったことも要因となった。
このレース形態は、「クウォーター・レース」(400mの超短距離レース)として、アメリカ競馬初期のスタンダードとなり、それに適した「クウォーター・ホース」という種類の馬も盛んに生産されていくこととなったのである。
1600年代の後半には、富裕層を中心に、きちんとした芝の競馬場の整備や馬産の体系化などが徐々に進行して行き、庶民が好き勝手にやるクォーター・レースと共に人々の娯楽として発展していく。
写真はイメージです
その後アメリカでは独立戦争が起こり、競馬も一度は中断するが、戦争後は比較的速やかな復興を果たす。興味深いのは独立戦争によって、アメリカ国民の競馬に対する感情が2通りあるということが顕在化したことである。
ひとつは独立戦争の苦しみから解放された人々が娯楽としての競馬に必要性を感じていたということ、もうひとつは独立により、ギャンブルに寛容だったイギリス教会が駆逐されたことで、清教徒を中心とした、ギャンブルを嫌う厳格な教会の考え方が強くなったということである。
この相反する2つの考えがアメリカの競馬に以下の流れをもたらした。ひとつはしっかりとしたルールの制定と大衆化が行われたこと。悪徳利権まみれ、八百長まみれの競馬では競馬反対派によって「問題あり!」と突っ込まれてつぶされてしまうおそれがある。
なのでアメリカの競馬施行者たちに「競馬はクリーンな娯楽ですよ!」ということを示すためにちゃんとルールを作って公正な競走をする流れが生まれたのである。さらに地域の人々を呼んで「ね、競馬って楽しいでしょ?」ということを分かってもらう必要があったため、早くから集客力の強い競馬環境の整備、すなわちエンタメ化・商業化が進んだのである。
もうひとつは州によって競馬に対する考え方が違うという状況を生み出した。移住の経緯からアメリカには清教徒の多い少ないがあり、宗教的な考え方にも強弱があった。つまり、競馬OKの州と競馬NGの州が両方あるという状況ができたのである。NGの州では当然ながら競馬は取り締まられたり、よほど土地の有力者に媚びていなければ開催できなくなった(たとえば畜産品評会イベントとして開催したりとか)。
このようにアメリカ競馬はかなり危うい状況下にありながら、エンタメの要素を強くすることで発達をしてきたのである。現在のアメリカの競馬場はダートレースが主流となっているが、実はこの理由も、「競馬場をいつ潰されるか分かったもんじゃない」状況下で主催者たちが初期投資をさっさと回収できるようにコストのかからないダートコースを採用したことが要因だとも言われている。
こうしてだましだまし運営されてきたアメリカ競馬だが、結局ギャンブルはギャンブル。悪徳ブックメーカーやら八百長騒ぎ、馬への薬物利用やらがいろいろと発生し、ついに競馬反対運動の流れが頂点に達する時代というのがくる。いわゆるブラックアウト、競馬禁止の時代というやつがくるのである。20世紀初頭のことである。
1897年から1908年の間に、アメリカ全国の競馬場数は314から25に激減し、さらに、レースの賞金も1907年から1911年の間に60%以上減少した。競走馬も競馬で稼げなくなったため、1907年には5662頭いた競走馬も1913年には3341頭に減少し、サラブレッドの値段は暴落した。走っても稼げない、競走馬を生産しても稼げないという、競馬産業の崩壊であった。
しかし、おもしろいのは、この競馬禁止も州によって決めていたということだ。これが話をややこしくする。つまり、この時代にあっても競馬OKという州には競馬場がしっかりあったのである。
当然の事ながら、やっている競馬場は非常に流行る。競馬禁止の州から人々が押し寄せるのだ。戦略的に禁止の州の州境近くに競馬場が作られたりもした。
カナダにあるフォートエリー競馬場は1897年に作られた競馬場であるが、完全にアメリカのバッファロー地区からの客の流入を見越した立地。フォートエリー競馬場周辺はいまだに人家もまばらだ。
禁止した州で稼いだお金を持ってよその州の競馬場で散財されるのだから禁止した州はたまったものじゃない。
これと平行して、法の抜け穴的な競馬開催もはじまる。現金を用いず信用貸しで賭博を行うブックメーカーの出現や、勝ち馬を予想して「応募」するシステム、勝ち馬のエサ代を「スポンサー」するシステムなど事実上賭けなのに賭けじゃない脱法行為が横行したのだ。これには行政も頭を悩ませた。
そして結局、アメリカの世論は「法律の元で管理して競馬を運営した方が禁止するよりもいいんじゃないの?」という考え方に変わっていくのである。
こうして1940年頃にはアメリカの競馬はパリミュチュエル方式のもと、競馬施行者が州の監督の下で、開催を行われることをざっくりとした軸として合法化されたのである。
※パリミュチュエル方式とブックメーカーについてはオーストラリア競馬の記事にて取り上げたので、そちらを参照してください。
これらの流れから、アメリカ競馬は、ブックメーカーがいない、私営の競馬という形態をとることになった。日本みたいに国や自治体が完全に運営している感じでもなければ、オーストラリアみたいな町の伝統行事的なもんでもなく賭博場としての性格がやや強いということがお分かりいただければ充分です。
全国的な取り組みとしては、「全米サラブレッド競馬協会(National Thoroughbred Racing Association)」が、競馬事業者会員からの会費および資金供給により、アメリカ競馬のマーケティング、コマーシャル、プロモート、アメリカ全土の各主要レースのテレビ放映を行なっているものの、基本的には競馬開催はそれぞれの競馬場のオーナーが決めてるんですよ、というわけです。
うわあ、長かったなあ!以上アメリカ競馬の非常にざっくりした歴史でした。
と、いうわけで、次回からはアメリカで最初に訪れた競馬場である、ガルフストリームパーク競馬場をレポートしていきます。。。
>>次の記事へ
*この競馬場が好きな方はこちらの競馬場もお好きだと思われます。
セランゴール競馬場 その1~いざマレーシア競馬~
ソウル競馬場 その1 〜韓国競馬に手を出すぞ〜
ペナン競馬場 その1 ~再びマレーシア競馬へ~
クランジ競馬場 その1 ~いきなりお詫び~
マルサ競馬場 その1 〜いざ地中海競馬へ〜
ムーニーバレー競馬場 その1 ~オーストラリア競馬~
*アメリカの競馬場に関する記事は以下にもあります。
ガルフストリームパーク競馬場 その1 〜アメリカ競馬事始〜
ガルフストリームパーク競馬場 その2 〜いざフロリダ競馬〜
ガルフストリームパーク競馬場 その3 〜幸せなパドック〜
ガルフストリームパーク競馬場 その4 〜ナチョスを食べながら〜
ガルフストリームパーク競馬場 その5 〜傾向と馬券について〜
ガルフストリームパーク競馬場 その6 〜アメリカ競馬事始〜
ポンパノパーク競馬場 その1 ~アメリカのハーネスレース~
ポンパノパーク競馬場 その2 〜真夜中の総合ギャンブル場〜
ポンパノパーク競馬場 その3 〜ハーネスを攻略せよ〜
フェアグラウンズ競馬場 その1 〜ニューオーリンズに競馬しにきた〜
フェアグラウンズ競馬場 その2 〜ジャズの聖地で競馬三昧〜
フェアグラウンズ競馬場 その3 〜叫び騒げ!競馬はショーだ!〜
フェアグラウンズ競馬場 その4 〜んでもってマルディグラ〜
ルイジアナダウンズ競馬場 その1 〜競馬旅行の運の尽き〜
ルイジアナダウンズ競馬場 その2 〜雨のルイジアナダウンズ〜
ルイジアナダウンズ競馬場 その3 〜クォーターレース〜
荷桁もSも学生時代の末期を向かえており、春には大学を追い出されることがほぼ確定していた。荷桁は若隠居になることが決まっていたし、SはSで春からの勤め先が決まっていたので、あとは卒業式を待つだけの身であったのだ。
荷桁もSも競馬とパチンコと酒が好きだったので、よく二人でつるんでは平日から後楽園のオフトに出入りしたり、南関東の競馬場に出かけたりしていた。そのあとはパチンコや居酒屋に行ってだらだらするのが唯一の楽しみだったのだ。
この頃にはさしたる授業もなく、何もない日はフルタイムでアルバイトをしていたので、大学時代を通して金欠気味だった荷桁にも幾ばくかの金銭的余裕ができていた。
そんな折、Sが「アメリカにでも行くか」と言い始めたのだ。
実はSというのが、かつて父親の仕事の都合でアメリカに住んでいた事があって、時間ができたときにはいつかまた旅行したいと思っていたらしいのである。荷桁は荷桁でいろいろな国には競馬を見るために行った事があったもののアメリカには行った事がなかったし、ある程度英語ができるSが一緒ならば心強い。かくして二つ返事でアメリカ行きが決まったのである。
思い立ったのが年末だったので実際の出発は1月の終わりになった。当然の事ながら、この季節のアメリカ北部と中部は極寒なので、南部に行く事とあいなった。
時間だけはあったので、どかんと2週間の日程を組んで、レンタカーでフロリダの先っぽからメキシコ湾沿いにずーっとヒューストンまでの道のりをドライブをする旅行にすることにした。
荷桁もSも競馬が好きなので、当然のことながら道中で開催している競馬場には必ず立ち寄ることとなる。
今回からのレポートはそんなアメリカ旅打ち旅行の途中で立ち寄った競馬場たちの記録である。
というわけで、2009年の1月、荷桁とSは飛行機でアメリカへわたった。乗り継ぎ一度を経て(その道中機内のビデオで釣りバカ日誌を5本も見てしまった)アメリカはフロリダ州、マイアミにたどり着いたのであった。
空港でレンタカーを借りて、真っ先に向かったのが、まず最初にご紹介するガルフストリームパーク競馬場なのである。
これが、ざっくりした前置きでございます。
では、前置きが終わったので、予備知識に移りましょう。アメリカ競馬のざっくりとした歴史についてここでご説明しておきます。かなり学問的な内容なので読み飛ばしていただいても結構です。
アメリカの競馬は競馬発祥の国であるイギリスからわたった人々が1600年代にはじめたとされる。
アメリカの競馬は当時イギリスで行われていたような長距離の競馬ではなく、村の通りや木々の間を通りけるような狭い道で、短い距離を走るというものが主流だった。
何故このような競走が行なわれていたかというと、まず競馬場とするような土地の確保がされにくい情勢だったことが挙げられる。当時植民地は食糧難が起こるような苛酷な環境であり、土地は農地に充てることが当然とされていたのである。また、持ち込まれた馬と、現地の小型馬が交雑した結果、全体的に馬が小型化し、短距離競走向きになっていったことも要因となった。
このレース形態は、「クウォーター・レース」(400mの超短距離レース)として、アメリカ競馬初期のスタンダードとなり、それに適した「クウォーター・ホース」という種類の馬も盛んに生産されていくこととなったのである。
1600年代の後半には、富裕層を中心に、きちんとした芝の競馬場の整備や馬産の体系化などが徐々に進行して行き、庶民が好き勝手にやるクォーター・レースと共に人々の娯楽として発展していく。
写真はイメージです
その後アメリカでは独立戦争が起こり、競馬も一度は中断するが、戦争後は比較的速やかな復興を果たす。興味深いのは独立戦争によって、アメリカ国民の競馬に対する感情が2通りあるということが顕在化したことである。
ひとつは独立戦争の苦しみから解放された人々が娯楽としての競馬に必要性を感じていたということ、もうひとつは独立により、ギャンブルに寛容だったイギリス教会が駆逐されたことで、清教徒を中心とした、ギャンブルを嫌う厳格な教会の考え方が強くなったということである。
この相反する2つの考えがアメリカの競馬に以下の流れをもたらした。ひとつはしっかりとしたルールの制定と大衆化が行われたこと。悪徳利権まみれ、八百長まみれの競馬では競馬反対派によって「問題あり!」と突っ込まれてつぶされてしまうおそれがある。
なのでアメリカの競馬施行者たちに「競馬はクリーンな娯楽ですよ!」ということを示すためにちゃんとルールを作って公正な競走をする流れが生まれたのである。さらに地域の人々を呼んで「ね、競馬って楽しいでしょ?」ということを分かってもらう必要があったため、早くから集客力の強い競馬環境の整備、すなわちエンタメ化・商業化が進んだのである。
もうひとつは州によって競馬に対する考え方が違うという状況を生み出した。移住の経緯からアメリカには清教徒の多い少ないがあり、宗教的な考え方にも強弱があった。つまり、競馬OKの州と競馬NGの州が両方あるという状況ができたのである。NGの州では当然ながら競馬は取り締まられたり、よほど土地の有力者に媚びていなければ開催できなくなった(たとえば畜産品評会イベントとして開催したりとか)。
このようにアメリカ競馬はかなり危うい状況下にありながら、エンタメの要素を強くすることで発達をしてきたのである。現在のアメリカの競馬場はダートレースが主流となっているが、実はこの理由も、「競馬場をいつ潰されるか分かったもんじゃない」状況下で主催者たちが初期投資をさっさと回収できるようにコストのかからないダートコースを採用したことが要因だとも言われている。
こうしてだましだまし運営されてきたアメリカ競馬だが、結局ギャンブルはギャンブル。悪徳ブックメーカーやら八百長騒ぎ、馬への薬物利用やらがいろいろと発生し、ついに競馬反対運動の流れが頂点に達する時代というのがくる。いわゆるブラックアウト、競馬禁止の時代というやつがくるのである。20世紀初頭のことである。
1897年から1908年の間に、アメリカ全国の競馬場数は314から25に激減し、さらに、レースの賞金も1907年から1911年の間に60%以上減少した。競走馬も競馬で稼げなくなったため、1907年には5662頭いた競走馬も1913年には3341頭に減少し、サラブレッドの値段は暴落した。走っても稼げない、競走馬を生産しても稼げないという、競馬産業の崩壊であった。
しかし、おもしろいのは、この競馬禁止も州によって決めていたということだ。これが話をややこしくする。つまり、この時代にあっても競馬OKという州には競馬場がしっかりあったのである。
当然の事ながら、やっている競馬場は非常に流行る。競馬禁止の州から人々が押し寄せるのだ。戦略的に禁止の州の州境近くに競馬場が作られたりもした。
カナダにあるフォートエリー競馬場は1897年に作られた競馬場であるが、完全にアメリカのバッファロー地区からの客の流入を見越した立地。フォートエリー競馬場周辺はいまだに人家もまばらだ。
禁止した州で稼いだお金を持ってよその州の競馬場で散財されるのだから禁止した州はたまったものじゃない。
これと平行して、法の抜け穴的な競馬開催もはじまる。現金を用いず信用貸しで賭博を行うブックメーカーの出現や、勝ち馬を予想して「応募」するシステム、勝ち馬のエサ代を「スポンサー」するシステムなど事実上賭けなのに賭けじゃない脱法行為が横行したのだ。これには行政も頭を悩ませた。
そして結局、アメリカの世論は「法律の元で管理して競馬を運営した方が禁止するよりもいいんじゃないの?」という考え方に変わっていくのである。
こうして1940年頃にはアメリカの競馬はパリミュチュエル方式のもと、競馬施行者が州の監督の下で、開催を行われることをざっくりとした軸として合法化されたのである。
※パリミュチュエル方式とブックメーカーについてはオーストラリア競馬の記事にて取り上げたので、そちらを参照してください。
これらの流れから、アメリカ競馬は、ブックメーカーがいない、私営の競馬という形態をとることになった。日本みたいに国や自治体が完全に運営している感じでもなければ、オーストラリアみたいな町の伝統行事的なもんでもなく賭博場としての性格がやや強いということがお分かりいただければ充分です。
全国的な取り組みとしては、「全米サラブレッド競馬協会(National Thoroughbred Racing Association)」が、競馬事業者会員からの会費および資金供給により、アメリカ競馬のマーケティング、コマーシャル、プロモート、アメリカ全土の各主要レースのテレビ放映を行なっているものの、基本的には競馬開催はそれぞれの競馬場のオーナーが決めてるんですよ、というわけです。
うわあ、長かったなあ!以上アメリカ競馬の非常にざっくりした歴史でした。
と、いうわけで、次回からはアメリカで最初に訪れた競馬場である、ガルフストリームパーク競馬場をレポートしていきます。。。
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またこのサイトの写真や文章は基本的に無断で使用されると困るのですが、もしどうしてもという方は荷桁までご連絡ください。そのほかご指摘やご質問がある方も荷桁まで直接ご連絡ください。コメント欄は管理が面倒そうなので当分オープンにはしないつもりです。悪しからず。
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