阪神競馬場 その1 ~阪神競馬場の歴史と私的な思い出~ そこに競馬があるから 忍者ブログ
日本国内、海外の競馬場の訪問記です。こんなことしてていいのかなあ。でもやめられない。

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阪神競馬場
阪神競馬場



 どうも。荷桁です。


 さて、やっとと言いますか、とうとうと言いますか、阪神競馬場のレポートに取りかかります。



 現在、大阪市内在住の荷桁にとって、阪神競馬場は自宅からもっとも近い中央競馬の競馬場という位置づけになっている。とは言っても、自宅からは50分~60分程度かかるし、京都競馬場も同様に一時間ほどで着ける距離なので、鼻息を荒くして「うちから阪神競馬場は近いんじゃ!」と主張するようなものでもない。あくまで、たまに気が向いたら行く程度の、程よい距離感の競馬場という感じだ。



 関西移住前の学生時代にも行ったことがあるが、関西に住んでからは年に数回、大きいレースの日はもとより、何でもない開催の日にも訪れている競馬場である。桜花賞や宝塚記念などで、関西のファンはもちろん、遠隔地にお住いの方で訪れたことがある方も多いのではないだろうか。



 上記のように、荷桁にとってはある意味いつでも行ける競馬場ということもあり、滅多に行けない他の地方競馬場のようにシャカリキに写真を撮るわけでもなく、こうしてこのブログにてレポートにすることもなかったのだが、さすがにそろそろ書いてみるかということで今回着手することにあいなったというわけです。



 というわけで、今回からしばらくは阪神競馬場レポートでございます。よろしくどうぞ...


 中央の競馬場は函館、福島、小倉など競馬場がある都市の名前がついているものがポピュラーだが(中山は建設当時は中山村だったので同じくくりかな)、阪神競馬場は中京競馬場と並んで、知名と言えば知名だが、わりと漠然とした名前がつけられている競馬場である。



 阪神タイガースの本拠地甲子園球場が西宮市であることがあまり意識されていないように、そもそも阪神競馬場がどこにあるのか、ということはあまり知られていないのかもしれないので、まずはそのあたりの話から始めていくことにしよう。







 さて、阪神競馬場だが、読んで字のごとく、大阪と神戸の間のエリアにある競馬場である。



 一応住所としては兵庫県宝塚市駒の町1-1ということになっている。駒の町という地名がまたそれらしくていいいではないですか。



宝塚



宝塚



 宝塚というと有名な大劇場がある宝塚駅周辺や、中山観音のあたりのイメージが強いが、一応阪神競馬場も宝塚市ということになるのだ。まあ、宝塚記念というレースがあるので、このあたりはみなさんもご存知のことと思う。


 宝塚市にあるとは言いながら、敷地の一部は西宮市だし、東の武庫川のほうに目を向ければ尼崎市や伊丹市の市域にもほど近い。そういう意味でもちょっと漠然とした「阪神」という名前を冠しているのはバランスが取れていていいのかもしれない。


 
 競馬場がある土地というとガラが悪い土地柄という先入観を持つ、ステレオタイプお化けみたいな人も一定数おるのだが、このあたりは比較的関西の中ではよいめの住宅街なのでご安心いただきたい。阪神タイガースのファンのイメージと阪神競馬場を結び付けるのもこれまたややずれているので注意。



 阪神競馬場がある仁川駅はお坊ちゃん学校で知られる関西学院大学もほど近いし、少し南に下った西宮北口駅周辺は関西人が住みたい街ランキングで常に上位につけているエリアでもある。東京で同じような場所を例えるのは難しいが、それこそ今、馬事公苑があるあたりに競馬場があるイメージかもしれない。




 では何故そんな宝塚の地に競馬場ができたのかっつーあたりを、またもウィキペディアからの無責任な引用でもってざっと説明していくことにしよう。



 一応ルーツという意味でいうと、阪神競馬場の歴史は1907年にまでさかのぼることができる。


 日本人による馬券発売をともなった組織的競馬は1906年に東京ではじめておこなわれたのだが、関西でもその流れで「関西競馬倶楽部」という競馬組織ができたのである。


 その関西競馬倶楽部が競馬場を建設したのが現在の西宮市の鳴尾という地区であった。いま阪神競馬場でGⅢの鳴尾記念というレースが行われているがこれはそういうわけなのである。









 今でこそ鳴尾というエリアは関西人の中でも、阪神の二軍の球場があるという程度の意識しかないが、その当時は阪神電鉄が1906年に開通したということもあり、沿線開発が進んでいたエリアで、まあ競馬場が作られたとしてもおかしなエリアではなかった。競馬場が作られたのは「鳴尾浜」という海に近いエリアで、まとまった土地もあったのだろう。


 というわけで、1907年に関西競馬倶楽部の尽力によって「関西競馬倶楽部競馬場」という一周1800mの素晴らしい競馬場が鳴尾浜の地に完成したのである。細かい話をすると、隣に繋駕速歩の競馬場があったり、その後馬券を売るのがダメになる法改正があっていろいろ大変だったり、今の甲子園大会につながる野球大会を競馬場の内馬場でやっていたり、なんつーという積もる話もあるのだが、まあ、あんまりこまけー話をしていても仕方がないので、そのへんは端折ろう。


 そんな流れで競馬場ができたのち、1937年に競馬の開催組織が日本競馬会になったことで、競馬場の名前も「阪神競馬場」という名前になり、何となく今の競馬場につながる流れができてくるわけでございます。


 しかし、1943年に戦況が厳しくなってくると、競馬場の隣に飛行機の製造をしている会社があったため、競馬場の土地が、海軍の飛行場建設用の土地として接収されることなり、移転をせざるを得なくなったのである。



 移転の候補に挙がったのが現在の阪神競馬場より少し北西、今でいうところの阪急小林駅の西側あたりの土地で、実際にコースなんかも作ったりしたのだが、今度は進駐軍が、ゴルフ場にするからこの土地よこせと言ってくることになってしまい、結局1946年に、この土地からも移らなくてはいけなくなってしまったのである。(この時期の競馬場を通称で逆瀬川競馬場と言ったりもするようだ)。


 どこかにいい土地はないもんか、と探していたところ、戦災に遭って以降は放置されていた仁川の旧川西航空機宝塚工場跡地の払い下げを受ける形で現在地に落ち着いたのである。当地で競馬開催が最初に行われたのは1949年のこと。以来、震災の被害などもあったが、65年以上に渡って現在まで競馬が行われているのである。



 ふう、長かったのう。まあだいぶ端折ったが、これが阪神競馬場のざっくりとした歴史である。まあ、ものすごく乱暴な言い方をすると、鳴尾にあったけどいろいろあって仁川に落ち着いていると考えていただければいいんじゃなかろうか。




Hanshin



 個人的な話もしておくと、阪神競馬場に初めて訪れたのは、執筆時からちょうど8年前の2008年4月13日。第68回桜花賞のことである。


 当時荷桁は東京の私大に通うもっさい大学4年生であった。


 当時は今と違って就職活動の表向きの面接解禁日が大学4年生の4月1日だったと記憶しているが、まあ、こまけぇこたぁいいんだよ!


 どんな経緯だかは忘れたが、無性に桜花賞が生でみたくなり、急に思い立って土曜の夕方に東京を発って阪急石橋の友人宅に一泊し、そのまま阪神に向かったのだと思う。


 もともと特定の馬や騎手に入れこんで競馬を見ているタイプではないので、単純に阪神競馬場でレースが見たくなったのだろう。まあ、今になって思えば現実逃避がしたかったんでしょうなあ。まあ、いくつになっても競馬に行きたくなるときなんざ、現実逃避みたいなもんですがね。



 その年の桜花賞はトールポピー、リトルアマポーラ、オディールなんつーメンバーが人気していたが、どれも信頼感に欠けていると感じたため、もうよく分からんと思い、「何となく戦績が安定していて菊花賞のときのソングオブウインドっぽい」というよく分からん理由で、とある馬の単勝を400円、その馬から馬連を6頭に流して計1000円という今からすると何ともかわいらしい金額で勝負をしたのである。



Hanshin


 その単勝が見事に入ったりするのだから、競馬はよく分からない。


 兎角最後の直線は叫びまくり、レジネッタがゴールを通過してからも叫び続けていたのはおそらくあの場では小牧太騎手と荷桁だけであったであろうと思う。


 2着のエフティマイアは拾えず、馬連は逃したが、このファーストコンタクト馬券での好結果もあり、阪神競馬場は今も非常に気に入っている競馬場なのである。


 どうでもいいことではありますが、個人的にはこんな背景がある競馬場なのです。



阪神競馬場


 他にも、詳しくは今後のレポートで述べていくが、阪神競馬場は中央の主要4場(東京・中山・京都・阪神)の中でも快適度が高い競馬場だと個人的には感じている。



 もちろん、スマートな中央の競馬場ではあるので、何かとりたてて面白いものがあるわけでも、ツッコミどころ溢れるトホホ看板なんかがあるわけでも、うさんくさい予想屋がいるわけでもないのでトータルで見るとあまり面白いレポートになるとも思えないのだが、しっかりとレポートしていければと思います。


 っつーわけで公的・私的な阪神競馬場の歴史を述べましたところで、今回からはしばらく、阪神競馬場レポートです。



 



>>阪神競馬場レポートその2へ





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 阪神競馬場 その1 ~阪神競馬場の歴史と私的な思い出~
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