日本国内、海外の競馬場の訪問記です。こんなことしてていいのかなあ。でもやめられない。
そこに競馬があるから > フレミントン競馬場 > フレミントン競馬場 その1 ~メルボルンカップ事始~
フレミントン競馬場直線。青空にコースの緑がよく映える。南半球の11月は日本で言う5月くらい。まさに新緑の季節だ。
*オーストラリア競馬場巡りレポートの続編です。
初めからお読みになる方はこちらからどうぞ。
とうとうやってまいりました。いろんな意味で今回の旅のメインレースであるメルボルンカップの会場であるフレミントン競馬場であります。
この競馬場のご紹介に関しても、またいろいろと説明くさいお話を盛り込むことになると思いますがなにとぞお付き合いください...
さて、どのあたりから話をしたらいいのか考えてしまうところだが、まずはタイトルにもあるように、メルボルンカップのざっくりとしたご説明をさせていただこう。
メルボルンカップという競走は1861年に始まったオーストラリアを代表する伝統レースの1つで、荷桁が訪問した2008年の1着賞金は3300000ドル(=約2億6400万円)にのぼり、オーストラリアで一番のビッグレースに位置づけられている。
レースの歴史を紐解いていこう。
そもそもメルボルンという街はオーストラリア大陸の中でも新参者の都市で、シドニーが1820年代には既に銀行なども備えた近代都市だったのに対し、1850年代のゴールドラッシュに伴う開発で台頭してきた後発の都市であった。当然、シドニーでは早くから競馬場でいくつもの格式あるレースが行われていたが、メルボルンにはそうしたものがなかなか出てこなかったのである。
そんな中、地元の資産家をメンバーにメルボルンに設立された、ヴィクトリア・ターフ・クラブという競馬組織はフレミントン競馬場で、この植民地を代表するお祭りレースをドカンとやってメルボルンのすごさを見せつけちゃるで!という計画を発表したのである。つまりメルボルンカップは最初から「国で一番」を目指して作られたレースなのである。
しかし、いきなり、この計画が最初に発表された時、ある新聞は「そのようなレースが行なわれれば、結果しだいでは、もとは30シリングのやくざ馬が大陸一の名馬ということにもなりかねない。ばかげたアイディアであり、失敗するのは目に見えている」と厳しく社説で批判をしたのである。
たしかに、いきなりどっかのオッサンが「日本一のレースをやるからみんな出なさい!」と言ったところに集まった馬の中での1着馬が日本一かと言われたらそりゃ違うだろ、となるわな。
イギリスのレースや、シドニーのレースように、中世からの伝統があるわけでも、権威ある人物の名前を冠しているわけではない、とってつけたような町のレースが、大陸を代表するレースになりうるはずがない、というのが、大方の見方であったのだ。
そして、大方の見方どおり、1861年の第一回目のメルボルン・カップは、普通のレースの域を脱するものではなく4000人の群衆を集めただけのレースで終わったのである。
ところが、第2回以降クラブの努力によりどんどん賞金が加算され、急速に注目度が拡大し、1866年には実に18000人を動員する大レースになったのである。
メルボルン・カップの開催日は公共の祝日に指定され、ほとんどの住民が競馬を楽しむことになり、結果としてメルボルンカップはその賞金水準も、レースのレベルも大陸一のレースになってしまったのであった。
メルボルンカップの成功の秘訣は、クラブの努力により賞金が向上されたこともあったが、ハンディキャップによるレースで「賭博」としての面白さを前面に打ち出したことにある。
それまでのシドニーで行われていたレースの常識は、ダービーのようにどの馬が強いかを決めるというコンセプトだった。しかし、メルボルンカップでは伝統も権威もない状況から、あえて「メルボルン」という町の名を冠し、ハンディキャップ競走という不平等なレースを行なうことで、賭けの面白さを打ち出し、多くの人々が楽しめるというコンセプトを打ち出したのである。結果として、それは住民の関心を高めることに非常によく作用することになり、その後のメルボルンカップにつながっていくのである。
さて、ここまで歴史的経緯OKですか?。
さ、そして現在なのだが、もちろん現在もその伝統は生きていて、メルボルンカップの週のメルボルンは「メルボルンカップ・カーニバル」というお祭りウイークとなり、レース当日はメルボルン都市圏は祝日となる。ちなみに競馬のレースが理由で祝日になるのはオーストラリアだけなのだそうだ。なんとうらやましい!
このように街のメインストリートにはメルボルンカップ用の装飾がほどこされて、パレードが行われる。(ちなみに荷桁はパレード見物にあまり価値を見出せない性質なので、ちゃんと見なかったのだが・・・)
そして、メルボルンカップにはドレスアップして行くのが伝統となっている。特に女性がおしゃれな帽子をかぶっていくのが何故か伝統になっていて、この週のデパートの帽子売り場は妙な賑わいを見せているのである。
メルボルン市中心部のデパートの帽子売り場。ド派手なものでも白人のおねえさんが被ると似合うから不思議だ。
メルボルンカップが近づくと、テレビも新聞もみんなメルボルンカップ一色。レース前日にフツーの路上のベンチで楽しそうに競馬新聞を眺めるおねーさんや老婆を見たのはあとにも先にもこのときだけだ。
メルボルンカップは「The Race That Stops A Nation」という俗称もついているが、あながち大げさなものではないのだな、と実感できる。
こんな感じの街中の新聞売り場で競馬新聞が売られており、だいたいの場所で入手が可能だ。
右壁面の「RACE BOOKS SOLD HERE」の数がその気合いっぷりを物語っていると言える。
すごーく長々と説明してきましたが、要するに一言で述べると、メルボルンカップはメルボルンの人びとにとって、「年に一度のとっても楽しい競馬の祭典」なんですよ、ということである。そしてメルボルン市民のみなさんはだいたい競馬がお好きなのである。
ああ、長かった。毎度すみません。しかし、こういう知識を知っていただくことで、このあとのレポートもさくさく進んでいくのでご勘弁してください。
というわけで、フレミントン競馬場にはほとんど触れずじまいでしたが、続きは次回のレポートでじっくりまいりましょう。
>>フレミントン競馬場レポートその2へ
*この競馬場が好きな方はこちらの競馬場もお好きだと思われます。
ムーニーバレー競馬場 その1 ~オーストラリア競馬~
カイントン競馬場 その1 ~もうひとつのカップ・デー~
ガルフストリームパーク競馬場 その1 〜アメリカ競馬事始〜
ソウル競馬場 その1 〜韓国競馬に手を出すぞ〜
ポンパノパーク競馬場 その1 ~アメリカのハーネスレース~
フェアグラウンズ競馬場 その1 〜ニューオーリンズに競馬しにきた〜
ルイジアナダウンズ競馬場 その1 〜競馬旅行の運の尽き〜
マルサ競馬場 その1 〜いざ地中海競馬へ〜
ニコシア競馬場 その1 〜空路キプロスへ〜
*フレミントン競馬場に関する記事は以下にもあります。
フレミントン競馬場 その1 ~メルボルンカップ事始~
フレミントン競馬場 その2 ~メルボルンカップ・デー~
フレミントン競馬場 その3 ~競馬はパーティ~
フレミントン競馬場 その4 ~レーシング!~
フレミントン競馬場 その5 ~ドレスコード~
フレミントン競馬場 その6 ~いざメルボルンカップ~
フレミントン競馬場 その7 ~宴のあと~
メルボルンカップという競走は1861年に始まったオーストラリアを代表する伝統レースの1つで、荷桁が訪問した2008年の1着賞金は3300000ドル(=約2億6400万円)にのぼり、オーストラリアで一番のビッグレースに位置づけられている。
レースの歴史を紐解いていこう。
そもそもメルボルンという街はオーストラリア大陸の中でも新参者の都市で、シドニーが1820年代には既に銀行なども備えた近代都市だったのに対し、1850年代のゴールドラッシュに伴う開発で台頭してきた後発の都市であった。当然、シドニーでは早くから競馬場でいくつもの格式あるレースが行われていたが、メルボルンにはそうしたものがなかなか出てこなかったのである。
そんな中、地元の資産家をメンバーにメルボルンに設立された、ヴィクトリア・ターフ・クラブという競馬組織はフレミントン競馬場で、この植民地を代表するお祭りレースをドカンとやってメルボルンのすごさを見せつけちゃるで!という計画を発表したのである。つまりメルボルンカップは最初から「国で一番」を目指して作られたレースなのである。
しかし、いきなり、この計画が最初に発表された時、ある新聞は「そのようなレースが行なわれれば、結果しだいでは、もとは30シリングのやくざ馬が大陸一の名馬ということにもなりかねない。ばかげたアイディアであり、失敗するのは目に見えている」と厳しく社説で批判をしたのである。
たしかに、いきなりどっかのオッサンが「日本一のレースをやるからみんな出なさい!」と言ったところに集まった馬の中での1着馬が日本一かと言われたらそりゃ違うだろ、となるわな。
イギリスのレースや、シドニーのレースように、中世からの伝統があるわけでも、権威ある人物の名前を冠しているわけではない、とってつけたような町のレースが、大陸を代表するレースになりうるはずがない、というのが、大方の見方であったのだ。
そして、大方の見方どおり、1861年の第一回目のメルボルン・カップは、普通のレースの域を脱するものではなく4000人の群衆を集めただけのレースで終わったのである。
ところが、第2回以降クラブの努力によりどんどん賞金が加算され、急速に注目度が拡大し、1866年には実に18000人を動員する大レースになったのである。
メルボルン・カップの開催日は公共の祝日に指定され、ほとんどの住民が競馬を楽しむことになり、結果としてメルボルンカップはその賞金水準も、レースのレベルも大陸一のレースになってしまったのであった。
メルボルンカップの成功の秘訣は、クラブの努力により賞金が向上されたこともあったが、ハンディキャップによるレースで「賭博」としての面白さを前面に打ち出したことにある。
それまでのシドニーで行われていたレースの常識は、ダービーのようにどの馬が強いかを決めるというコンセプトだった。しかし、メルボルンカップでは伝統も権威もない状況から、あえて「メルボルン」という町の名を冠し、ハンディキャップ競走という不平等なレースを行なうことで、賭けの面白さを打ち出し、多くの人々が楽しめるというコンセプトを打ち出したのである。結果として、それは住民の関心を高めることに非常によく作用することになり、その後のメルボルンカップにつながっていくのである。
さて、ここまで歴史的経緯OKですか?。
さ、そして現在なのだが、もちろん現在もその伝統は生きていて、メルボルンカップの週のメルボルンは「メルボルンカップ・カーニバル」というお祭りウイークとなり、レース当日はメルボルン都市圏は祝日となる。ちなみに競馬のレースが理由で祝日になるのはオーストラリアだけなのだそうだ。なんとうらやましい!
このように街のメインストリートにはメルボルンカップ用の装飾がほどこされて、パレードが行われる。(ちなみに荷桁はパレード見物にあまり価値を見出せない性質なので、ちゃんと見なかったのだが・・・)
そして、メルボルンカップにはドレスアップして行くのが伝統となっている。特に女性がおしゃれな帽子をかぶっていくのが何故か伝統になっていて、この週のデパートの帽子売り場は妙な賑わいを見せているのである。
メルボルン市中心部のデパートの帽子売り場。ド派手なものでも白人のおねえさんが被ると似合うから不思議だ。
メルボルンカップが近づくと、テレビも新聞もみんなメルボルンカップ一色。レース前日にフツーの路上のベンチで楽しそうに競馬新聞を眺めるおねーさんや老婆を見たのはあとにも先にもこのときだけだ。
メルボルンカップは「The Race That Stops A Nation」という俗称もついているが、あながち大げさなものではないのだな、と実感できる。
こんな感じの街中の新聞売り場で競馬新聞が売られており、だいたいの場所で入手が可能だ。
右壁面の「RACE BOOKS SOLD HERE」の数がその気合いっぷりを物語っていると言える。
すごーく長々と説明してきましたが、要するに一言で述べると、メルボルンカップはメルボルンの人びとにとって、「年に一度のとっても楽しい競馬の祭典」なんですよ、ということである。そしてメルボルン市民のみなさんはだいたい競馬がお好きなのである。
ああ、長かった。毎度すみません。しかし、こういう知識を知っていただくことで、このあとのレポートもさくさく進んでいくのでご勘弁してください。
というわけで、フレミントン競馬場にはほとんど触れずじまいでしたが、続きは次回のレポートでじっくりまいりましょう。
>>フレミントン競馬場レポートその2へ
*この競馬場が好きな方はこちらの競馬場もお好きだと思われます。
ムーニーバレー競馬場 その1 ~オーストラリア競馬~
カイントン競馬場 その1 ~もうひとつのカップ・デー~
ガルフストリームパーク競馬場 その1 〜アメリカ競馬事始〜
ソウル競馬場 その1 〜韓国競馬に手を出すぞ〜
ポンパノパーク競馬場 その1 ~アメリカのハーネスレース~
フェアグラウンズ競馬場 その1 〜ニューオーリンズに競馬しにきた〜
ルイジアナダウンズ競馬場 その1 〜競馬旅行の運の尽き〜
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ニコシア競馬場 その1 〜空路キプロスへ〜
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フレミントン競馬場 その4 ~レーシング!~
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