日本国内、海外の競馬場の訪問記です。こんなことしてていいのかなあ。でもやめられない。
そこに競馬があるから > ニコシア競馬場 > ニコシア競馬場 その2 ~キプロス島~
ニコシアのランドマーク、シャコラス・タワーよりキプロス共和国側のニコシアを臨む
*ニコシア競馬場レポートの続編です。
初めからお読みになる方はこちらからどうぞ。
どうも。荷桁です。ダービーはディープブリランテが本命だったのにフェノーメノが抜けてしまいました。世知辛いなあ。
さて、では本筋に戻りましょう。
地中海の島国を巡る競馬旅ということで、わざわざキプロスという国に競馬を見にきたわけだが、とりあえずキプロスという国がどんな国かというのを説明しておく必要があるだろうということで、まずはそんな話からしていこうと思う...
キプロスという国は若干ややこしい国である。
トルコの南、西にはレバノンやシリアなどもほど近い、地中海のなかでもかなり中東寄りに浮かんでいる島、キプロス島にキプロス共和国はある。
大きな地図で見る
地図の中央、微妙な形をした島がキプロス島だ。
キプロス島はヨーロッパと中東の間の絶妙の位置に浮かんでいるため、大昔から地中海交易で栄えた地域で、そのため様々な民族に支配されてきた歴史がある。
古くはオリエンタル諸国、さらにはペルシア(ペルーサじゃないよ)などに支配された時代もあったが、2世紀から中世にかけての長きに渡ってローマ帝国・東ローマ帝国の支配が長く続くこととなった。
この間のローマ帝国支配のときにキプロスの人口構成はギリシャ語を話すギリシャ正教徒、すなわちギリシャ系が住民の大多数を占めるようになっていた。
その後はこのあたりを交易ルートとしていたイングランド、ヴェネチア共和国など西欧系諸国の配下になる時代を経て、16世紀になるとオスマン・トルコの支配下に入ることになった。このときにトルコ系住民が多数流入してくることになる。
さらにこのトルコ支配は19世紀まで続いたが、露土戦争・第一次大戦のどさくさを経てこんどはイギリスがキプロス島を領有することとなったのである。
まあ、要するにいろいろな方面のいろいろな民族に支配をされたが、ざっくり、ギリシャ系の人が多く住んでいたところにトルコがやってきて、最終的にイギリス領になったというところだけご理解頂けると、このあとの話が早い。
さてさてそんな時代を経て第二次世界大戦が終わると、キプロス島の中にはもともと住んでいたギリシャ系住民とオスマン時代から脈々と流入してきていたトルコ系住民の2つの勢力がイギリスに支配されているという構図ができあがった。
当時の世界の時流もあって、キプロスでもイギリスから独立してやるぜ!という気運が高まり、1960年にイギリスから独立する運びとなった。
ところがどっこい2つの民族が同居している国というのはなかなかうまくいかない。独立したあとに、「もともとギリシャ系人間が多い島なんだからギリシャになろうぜ!」というギリシャ併合派、「いやいや、トルコ系だって多いのを忘れてもらっちゃ困るよ!」というトルコ併合派と2つの派閥が国内を2分することになったのである。
そして1974年にギリシア併合派のクーデターに反応する形でトルコが軍事介入。結局すったもんだの末に首都ニコシアを挟んで北半分がトルコ系住民を中心とする「キプロス連邦トルコ人共和国(以下北キプロス)」、南半分がギリシャ系住民を中心とする「キプロス共和国」と2つの国に分断されてしまうことになってしまったのである。
この状況は2012年になっても依然変わっていない。南側のキプロス共和国はEUに加盟したりして国際的にもフツーの国として通っているが、北キプロスはトルコ以外の国は正式な国として承認していないなど、事実上トルコ軍の実行支配地域という感じになっているのが現状だ。
ちょっと堅い話になったが、要するにキプロスという国は南北に分割統治されている島国なんだよということを覚えていただければよい。
分断されているとはいえ、現在緊張状態であって治安がすこぶる悪いとかいうわけではない。写真のとおり、キプロス共和国の通りは美しく、下手な南欧よりはよほど快適で治安もかなりいい国だ。
北と南の行き来も観光客であれば、パスポートを持っていれば何の問題もない。上の写真は首都ニコシア(現地語ではレフコシャ)の繁華街にある国境ゲートである。日本のパスポートと入国カードを記入するだけでフツーに通してくれる。
北に行くとそこはもうイスラム国家。教会っぽいシルエットだが、中身はモスクに改造されているという非常にシュールな光景を目の当たりにする。
行ってみると分かるがやはり、北キプロスのほうがそこはかとない煤け感は否めない。北キプロスのGDPは南の半分とも言われており、経済格差はかなりのものだ。
とまあ、長くなったが、こんな歴史と事情をキプロスは抱えているのである。
競馬を目的に行ったので正直行ってみるまでは「分断国家」と言われてもピンと来なかったのだが、さすがに宗教も文化も違っている様子を目の当たりにするとこれはこれで不思議なものである。
あまり旅先として有名な土地ではないが、海辺の街はリゾートとしてもかなりいい線行っていて、ビールやワインも美味いので是非お暇な方はキプロス旅行を検討してみてください。
ちゃんとしたガイドブックがこれしかないのでネットでだいぶ調べてから行かないといけないのが難点だが。地球の歩き方でもギリシャと抱き合わせでページ数はかなり少ないし・・・。
そんな国の競馬場、次回からしっかりと紹介してまいります・・・
>>ニコシア競馬場レポートその3へ
*この競馬場が好きな方はこちらの競馬場もお好きだと思われます。
セランゴール競馬場 その1~いざマレーシア競馬~
ソウル競馬場 その1 〜韓国競馬に手を出すぞ〜
ペナン競馬場 その1 ~再びマレーシア競馬へ~
クランジ競馬場 その1 ~いきなりお詫び~
マルサ競馬場 その1 〜いざ地中海競馬へ〜
ムーニーバレー競馬場 その1 ~オーストラリア競馬~
*ニコシア競馬場に関する記事は以下にもあります。
ニコシア競馬場 その1 〜空路キプロスへ〜
ニコシア競馬場 その2 ~キプロス島~
ニコシア競馬場 その3~ニコシア競馬場に到着~
ニコシア競馬場 その4 ~いざ敷地内へ~
ニコシア競馬場 その5 〜ニコシアの鉄火場~
ニコシア競馬場 その6 〜まがりくねったパドック~
ニコシア競馬場 その7 〜いろいろな人々~
ニコシア競馬場 その8 〜双眼鏡を使うんだ〜
ニコシア競馬場 その9 〜キプロス産馬〜
ニコシア競馬場 その10 〜コースが狭い〜
ニコシア競馬場 その11 〜ニコシアの馬券術〜
ニコシア競馬場 その12 〜夕焼けのニコシア競馬場〜
ニコシア競馬場 その13〜スタンドを徘徊しよう〜
ニコシア競馬場 その14 〜さらにスタンド徘徊〜
ニコシア競馬場 その15 〜ニコシア競馬場グルメ〜
ニコシア競馬場 その16 〜日暮れの競馬場〜
ニコシア競馬場 その17 〜ニコシア競馬場ナイター〜
トルコの南、西にはレバノンやシリアなどもほど近い、地中海のなかでもかなり中東寄りに浮かんでいる島、キプロス島にキプロス共和国はある。
大きな地図で見る
地図の中央、微妙な形をした島がキプロス島だ。
キプロス島はヨーロッパと中東の間の絶妙の位置に浮かんでいるため、大昔から地中海交易で栄えた地域で、そのため様々な民族に支配されてきた歴史がある。
古くはオリエンタル諸国、さらにはペルシア(ペルーサじゃないよ)などに支配された時代もあったが、2世紀から中世にかけての長きに渡ってローマ帝国・東ローマ帝国の支配が長く続くこととなった。
この間のローマ帝国支配のときにキプロスの人口構成はギリシャ語を話すギリシャ正教徒、すなわちギリシャ系が住民の大多数を占めるようになっていた。
その後はこのあたりを交易ルートとしていたイングランド、ヴェネチア共和国など西欧系諸国の配下になる時代を経て、16世紀になるとオスマン・トルコの支配下に入ることになった。このときにトルコ系住民が多数流入してくることになる。
さらにこのトルコ支配は19世紀まで続いたが、露土戦争・第一次大戦のどさくさを経てこんどはイギリスがキプロス島を領有することとなったのである。
まあ、要するにいろいろな方面のいろいろな民族に支配をされたが、ざっくり、ギリシャ系の人が多く住んでいたところにトルコがやってきて、最終的にイギリス領になったというところだけご理解頂けると、このあとの話が早い。
さてさてそんな時代を経て第二次世界大戦が終わると、キプロス島の中にはもともと住んでいたギリシャ系住民とオスマン時代から脈々と流入してきていたトルコ系住民の2つの勢力がイギリスに支配されているという構図ができあがった。
当時の世界の時流もあって、キプロスでもイギリスから独立してやるぜ!という気運が高まり、1960年にイギリスから独立する運びとなった。
ところがどっこい2つの民族が同居している国というのはなかなかうまくいかない。独立したあとに、「もともとギリシャ系人間が多い島なんだからギリシャになろうぜ!」というギリシャ併合派、「いやいや、トルコ系だって多いのを忘れてもらっちゃ困るよ!」というトルコ併合派と2つの派閥が国内を2分することになったのである。
そして1974年にギリシア併合派のクーデターに反応する形でトルコが軍事介入。結局すったもんだの末に首都ニコシアを挟んで北半分がトルコ系住民を中心とする「キプロス連邦トルコ人共和国(以下北キプロス)」、南半分がギリシャ系住民を中心とする「キプロス共和国」と2つの国に分断されてしまうことになってしまったのである。
この状況は2012年になっても依然変わっていない。南側のキプロス共和国はEUに加盟したりして国際的にもフツーの国として通っているが、北キプロスはトルコ以外の国は正式な国として承認していないなど、事実上トルコ軍の実行支配地域という感じになっているのが現状だ。
ちょっと堅い話になったが、要するにキプロスという国は南北に分割統治されている島国なんだよということを覚えていただければよい。
分断されているとはいえ、現在緊張状態であって治安がすこぶる悪いとかいうわけではない。写真のとおり、キプロス共和国の通りは美しく、下手な南欧よりはよほど快適で治安もかなりいい国だ。
北と南の行き来も観光客であれば、パスポートを持っていれば何の問題もない。上の写真は首都ニコシア(現地語ではレフコシャ)の繁華街にある国境ゲートである。日本のパスポートと入国カードを記入するだけでフツーに通してくれる。
北に行くとそこはもうイスラム国家。教会っぽいシルエットだが、中身はモスクに改造されているという非常にシュールな光景を目の当たりにする。
行ってみると分かるがやはり、北キプロスのほうがそこはかとない煤け感は否めない。北キプロスのGDPは南の半分とも言われており、経済格差はかなりのものだ。
とまあ、長くなったが、こんな歴史と事情をキプロスは抱えているのである。
競馬を目的に行ったので正直行ってみるまでは「分断国家」と言われてもピンと来なかったのだが、さすがに宗教も文化も違っている様子を目の当たりにするとこれはこれで不思議なものである。
あまり旅先として有名な土地ではないが、海辺の街はリゾートとしてもかなりいい線行っていて、ビールやワインも美味いので是非お暇な方はキプロス旅行を検討してみてください。
ちゃんとしたガイドブックがこれしかないのでネットでだいぶ調べてから行かないといけないのが難点だが。地球の歩き方でもギリシャと抱き合わせでページ数はかなり少ないし・・・。
そんな国の競馬場、次回からしっかりと紹介してまいります・・・
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*この競馬場が好きな方はこちらの競馬場もお好きだと思われます。
セランゴール競馬場 その1~いざマレーシア競馬~
ソウル競馬場 その1 〜韓国競馬に手を出すぞ〜
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クランジ競馬場 その1 ~いきなりお詫び~
マルサ競馬場 その1 〜いざ地中海競馬へ〜
ムーニーバレー競馬場 その1 ~オーストラリア競馬~
*ニコシア競馬場に関する記事は以下にもあります。
ニコシア競馬場 その1 〜空路キプロスへ〜
ニコシア競馬場 その2 ~キプロス島~
ニコシア競馬場 その3~ニコシア競馬場に到着~
ニコシア競馬場 その4 ~いざ敷地内へ~
ニコシア競馬場 その5 〜ニコシアの鉄火場~
ニコシア競馬場 その6 〜まがりくねったパドック~
ニコシア競馬場 その7 〜いろいろな人々~
ニコシア競馬場 その8 〜双眼鏡を使うんだ〜
ニコシア競馬場 その9 〜キプロス産馬〜
ニコシア競馬場 その10 〜コースが狭い〜
ニコシア競馬場 その11 〜ニコシアの馬券術〜
ニコシア競馬場 その12 〜夕焼けのニコシア競馬場〜
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ニコシア競馬場 その14 〜さらにスタンド徘徊〜
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