福島競馬場 その4 ~あらためまして福島競馬場~ そこに競馬があるから 忍者ブログ
日本国内、海外の競馬場の訪問記です。こんなことしてていいのかなあ。でもやめられない。

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福島競馬場の走路と誘導馬
福島競馬場



*福島競馬場レポートの続編です。
初めからお読みになる方は福島競馬場レポートその1からどうぞ。





 どうも荷桁ございます。



 今回からはタイトルにありますとおり、福島競馬場のレポートをしてまいりたいと思います。



 これまでこのブログでは、福島競馬場レポートについては2008年の7月に訪問したときのことをもとに、レポートを3本ほどアップしておりました。しかし、その後荷桁が東京から大阪に転居したこともあり、福島競馬場に行くこともなかなかなく、追加のレポートは書けずにおりました。



 しかし、最初の訪問から10年近くが経った2018年の春、いろいろあって福島競馬場に行く機会があったので、9年前から進化していなかったレポートをあらためて充実させるべく、今回からはしばらく福島競馬場の話をしてまいりたいと思います。このブログも年を経るごとにどんどんレポートが細かく、しつこく、マニアックになってきておりますが、福島競馬場もなるべくそんな感じでねちっこくやってまいりたいと思いますので、何卒ご容赦いただけますと幸いです...


福島競馬場のスタート前



 さて。そんなわけですごく久々の福島競馬場レポートだ。



 ここまでの3本の福島競馬場レポートは2009年に書かれたものだが、当時はまだこのブログのスタイルみたいなものが確立しておらず(かっこつけた言い方でスミマセン)、読み返してみても、正直言って中身はほとんどない、薄っぺらいレポートである。



 過去の3本のレポートと中身が被ってくる部分も少しあるとは思うが、今一度、福島競馬場についてじっくり掘り下げて話をしてまいりたいと思いますので、そのへんはご理解ください。




福島競馬場の風景



 さて、それではまず福島競馬場の予備知識について、ざっくりお話をしておこう。



 福島競馬場は今更ではあるが、日本中央競馬界の競馬場である。毎年4月、7月、11月の三開催あり20日間ほど競馬がおこなわれている。いわゆるローカルの競馬場だ。



 次に歴史的な話をしていこう。もともと馬産地であった福島においては昔から野良競馬的なものは行われていた可能性はあるが、近代的な競馬という場合、福島における競馬の歴史は明治20年におこなわれた信夫山招魂社での競馬から始まっていると言ってよいだろう。この競馬は、福島県産馬畜産組合という馬の生産者の組合が主催し、今で言うところの福島県立橘高校のあたりに一周800mくらいのコースが作られ、そこで毎年春と秋に行われていたそうだ。この競馬は東北地方で初の洋式競馬とされている。福島は東北の中でも競馬に対して先進的なエリアだったわけだ。ただ、このときの競馬は馬券の発売もなく、徐々に下火になっていき、明治30年の開催でこの競馬は途絶えてしまうことになる。



 その後、この競馬は開催地を同県の郡山市開成山に移して明治35年から再開する(今も福島競馬場には開成山特別というレースがありますね)。日露戦争後の馬質改善の機運もあり、馬券を売るようになると(当時は馬券黙許の時代)、けっこうな盛況を見せることになった。しかし、明治41年に馬券の発売が法律で禁止されたときに、この郡山の競馬は政府の補助を受けて競馬を開催することができる、いわゆる「公認」を受けられなかったため、これまた経営が厳しくなって下火になっていくことになる。誤解のないように補足するが、公認というのは馬券の発売が公認されている競馬というわけではない。国が馬産の繁栄に必要と判断し補助金をつけて開催される競馬ということである。あくまで馬券は禁止だ。



 このときに政府から公認がもらえた競馬会(社団法人)は全部で11団体に再整備され、かつ競馬倶楽部へ改称する。一応羅列しておくと、札幌競馬倶楽部、函館競馬倶楽部、新潟競馬倶楽部、松戸競馬倶楽部、東京競馬倶楽部、日本レース・倶楽部、藤枝競馬倶楽部、京都競馬倶楽部、阪神競馬倶楽部、小倉競馬倶楽部、宮崎競馬倶楽部ということになる。一部なくなってしまったところもあるが、だいたいが、現在の中央競馬の開催場のルーツとなっているのがお分かりいただけることと思う。



 さて、そんなわけで福島は馬産地にもかかわらず、福島市そして移転した先の郡山市の競馬はともにパッとせず、日本の競馬のメインストリームから取り残されてしまったわけだ。上の面々を見ていただければお分かりいただけると思うが、福島のみならず、東北地方にひとつも公認競馬がないという状況が生まれてしまったのである。



 そうなってくると「この状況はけしからん!」と福島に競馬を誘致しようとする人間というのが必ず出てくるもので、郡山の政友会議員だった伊藤彌という人が郡山で福島愛馬会を組織し、公認競馬の誘致に乗り出すことになった。しかし郡山では協力者がなかなか得られず、福島の憲政会議員の大島要三と政党の違いを乗り越えて団結し、さらに貴族院議員鈴木周三郎、銀行家の内池三十郎、福島県にあった高玉金山の経営者・肥田金一郎、飯野村(現福島市飯野)で農業と醸造業を営み産馬業者でもあった服部宗右衛門らの協力を得て、競馬誘致を本格化させていくこととなる。




中山競馬場の肥田金一郎像



 ここまで読んで、お詳しい方はピンと来られているかもしれなしが、実は高玉金山の経営者・肥田金一郎というのは中山競馬場レポートでもご紹介した肥田金一郎氏と同一人物である。詳しくはこちらのレポートをご参照いただきたいが、この方は中山競馬場が悲惨な状況だった時にそれを立て直した男である。実は中山でそんなことをする前は福島で競馬誘致の活動をしていたのだ。どんだけ競馬好きやねんという感じだが、まあご立派な方であることは間違いない。



 んで、そんなメンバーで福島に競馬を誘致しようとわちゃわちゃしていたところに、チャンストウライ、いや大きなチャンスが到来したのだ。大正5年頃、公認競馬のひとつであった静岡県の藤枝競馬倶楽部が経営難で公認での開催権を手放すかもしれないという話が出たのである。この権利を福島で何とかゲットしようと伊藤が時の立憲政友会総裁原敬に聞いたところ、ほぼほぼ福島で行けるという流れになったのだ。



 しかし場所については当初は郡山に移転する方向で調整していた。まあ開成山に競馬場があったのだからそれはそうだろう。ところがどっこい、まだ法的には馬券が売れるわけでもなかったので、公認とは言え馬券が売れなければ地元にとってはそんなにうまみはなかろう(非公認の競馬場がある今とさほど変わらないだろう)ということで地元の有力者はこの話を蹴ってしまったのだ。そんな流れでとうとう福島にお鉢が回ってくるのである。



 ところが、福島でも地元の有力者はさほど乗り気ではなく、反対の声もままあった。しかし、さっきも出てきた地元選出の大島要三と時の福島市長二宮哲三が「そのうち馬券も売れるようになって、競馬場を誘致しておけば必ず儲かる時が来る」と地元を何とか説得したのだ。



 こんな流れで大正6年、経営難の藤枝競馬倶楽部から開催権を1万6500円(当時)で買収、福島県福島市への競馬場移転という形で政府より12月に移転の認可を受け、大正7年1月12日に福島競馬倶楽部に改称した。競馬場は当初は笹木野が候補に挙がっていたが地主の同意が得られず、現在の五十辺に落ち着いた。話によると笹木野は大して乗り気ではなかったのに、五十辺の地主に対しては「不便な笹木野が持っていこうとしてるからもっと頑張って誘致したほうがいい」と地主を焚き付けたらしい。このへんの交渉はうまいものですな。



 競馬場を整備するにあたり、大島要三らは自ら保証人となって銀行より10万円の融資を受けて競馬運営資金とし、二宮哲三市長にその経営を委ねた。また競馬場を所有する会社として福島土地株式会社を設立し、福島市が配当を保証するとして株を発行して市民から競馬場の建設資金を得た。競馬場の建設にあたっては、福島市内の建設土木業者を総動員し、3ヶ月で完成させた。できた競馬場は福島土地が所有してそれを市が借り受けて競馬倶楽部に賃貸するという形が取られて開催がされるということになり、まさに行政、自治体ぐるみで競馬誘致・開催までこぎつけたということになる。国会議員と地元自治体が主導して誘致された競馬場という流れは、今後の福島競馬場を掘り下げていく上でカギになるポイントなので何となく頭の中に入れておいていただきたいので、よろしくお願いいたします。




福島競馬場のレストラン万松



 そんなこんなで大正7年6月28日に福島競馬場で競馬の開催が開始された。当初は入場料収入がメインではあったが、一応チケットには勝馬投票用紙がついており、それが当たると商品券がもらえたりする(交換率は悪くなるが現金化もできたらしい)という形でなんとなくゲーム性もあるような開催が為されていた。東北本線に交通広告を打ちまくった作戦も効いて、旅打ちの人なんかも遠距離からけっこう来て盛り上がっていたらしい。



 ちなみに、このとき場内スタンドには一等食堂「松葉館」、二等食堂に「万よし」「万松」という食堂が入っていたというのが当時の福島民友の記事にあったのだが、今も福島競馬場内には「万松」という食堂が残っており、もしかしたら開設当初からずっと続いているのかもしれませんな。




福島競馬場のFKCと書かれたバンケット



 その後大正12年になると旧競馬法が施行され、馬券が販売されるようになった。昭和初期までは繋駕速歩競走も多く行われていたらしい。



 ちなみに、福島競馬場に今も残る障害競走のバンケットにある「FKC」という文字は昭和10年に当時の理事であった草野喜右衛門(福島電燈株式会社の元社長)の発案で作られたものだ。これは「福島競馬倶楽部」の頭文字をとったものである。昭和初期に作った植え込みをそのままの形で残しているあたりも、競馬を誘致してくれた功労者たちを無下にはできないという福島の競馬人想いと言えそうである。




 その後、競馬の運営が日本競馬会になったり、戦争のあおりで閉鎖されたりという流れはありながらも、国営競馬移管後の昭和24年に競馬開催が再開。昭和29年からは日本中央競馬会に移管され現在に至っているのである。



 さて。結局歴史の話が長引いて字ばかりになってしまったが以上が福島競馬場のざっくりした歴史だ。いろいろ長いこと説明をしましたが、要するに、福島競馬場という競馬場は「競馬を福島に持ってくるんだ!」という意気込みに溢れた地元の方によって成立している競馬場であり、ただ単に金を稼いで自治体の儲けになればいいや、というレベルで存在しているような公営レース場とは少し趣が違うんだよ、という部分だけご理解いただければOKです。



 そんなわけで、福島競馬場の歴史をいまいちど学びなおしましたところで、やってまいりますよ。福島競馬場レポート。しばらくお付き合いの程、よろしくお願いいたします。




 ◆参考
 志田三木編(1997)『福島競馬の足跡福島競馬沿革資料集』日本中央競馬会広報室.
 福島競馬場80年史編集委員会編(1998)『福島競馬場80年史』日本中央競馬会福島競馬場.





 



>>福島競馬場レポートその5へ





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