日本国内、海外の競馬場の訪問記です。こんなことしてていいのかなあ。でもやめられない。
そこに競馬があるから > 名古屋競馬場 > 名古屋競馬場 その5 ~あらためて名古屋競馬~
*名古屋競馬場レポートのつづきです。
初めからお読みになる方は名古屋競馬場レポートその1からどうぞ。
どうも、荷桁です。
もう、かなり経ってしまいましたが、あらためまして、明けましておめでとうございます。2013年も「そこに競馬があるから」をよろしくお願いいたします。
と、年初のご挨拶もそこそこに話を進めますと、これからはしばらく、タイトルにあるように名古屋競馬場の話をしていきたいと思います...
ひとまず、なぜ今、このタイミングで名古屋競馬場レポートなのか、という話をしておかねばなるまい。
当ブログ「そこに競馬はあるから」は 今をさかのぼることおよそ4年前、2008年の12月にひっそりとオープンし、その後地味に更新を重ねながら、現在にいたっている。
そんな当ブログにおいて、名古屋競馬場レポートその1~4までは比較的初期の段階で書かれたレポートである。
今でこそ、写真を贅沢に使って各競馬場のアクセス、スタンド、グルメなどのレポートを幅広く書いているが、当時はまだ手探りで、そういったスタイルは確立していなかった。
当時のレポート4本を読み返していただければお分かりになると思うが、写真も文量も少なく内容もまあそんなに長くならないような感じで書かれている。我ながら「もう少し詳しく紹介せいよ」と思わずにはいられない内容だ。
そんな事情に加え、4年という月日も問題になってくる。
名古屋競馬場は荷桁の実家にわりと近いということもあり、ちょいちょい行っていて観察を続けてきたわけだが、だんだんと以前ご紹介した内容と実際の名古屋競馬場とが異なり始めてきているのである。
要するにざっくり言うと
1:前のレポートがしょぼいからもう少し書き加えたい
2:ちょいちょい行っているからわりと写真もある
3:最初のレポートから4年たってるし、ここいらでもう一度やるか
というようなことを思い始めたので、あらためて名古屋競馬場レポートが書きたくなった、ということだ。
まあ、名古屋競馬場の追加レポートを書くにあたってこんなに言い訳がましくくどくど書かなくちゃならんもんか、と聞かれれば、まったくそんなことはないのだが、まあ、そこは荷桁が面倒臭い人間だということでご理解いただければ幸いでございます。
ちなみに、今回からのレポートで使う写真は2009年11月のJBC、2012年6月の東海ダービーシリーズあたりの訪問、さらに2013年1月の新春シリーズで撮った写真などがごちゃ混ぜになっているので季節もごちゃまぜになることと思う。まあ、そのあたりはうまくごまかしていけるよう、努力してまいります。
さて、つーわけで名古屋競馬場だ。
そもそもこれまで名古屋競馬場に関しては、名古屋市港区の通称「土古(どんこ)というところにあるという説明はしていたものの、それ以外の説明というのはあまりしていなかった。
ここいらでもう一度名古屋競馬場の歴史からさっくりなぞっておこう。
名古屋競馬場のある愛知県では戦前から競馬倶楽部や馬匹連合連合会などの民間組織が中心になって競馬が行われていた。目的は畜産の振興や軍用馬の育成・保護などである。
もともと、津島神社やら豊川稲荷などで、祭典としての競馬は行われていたとのことで、当地にも馬の文化は根付いていたようだ。
愛知県出身の筆者からすると、現在の愛知では牛・豚・鶏は大量に飼われているが、馬が飼われているイメージはないので、馬文化がちゃんとあったというのはちょっと意外。
さて、そんな愛知県内に戦前にあったとされる競馬場は岡崎競馬場、豊橋競馬場、稲永競馬場、岩倉競馬場、川中競馬場、豊川競馬場、一宮競馬場などだ。
名古屋競馬のルーツになっていると考えてもいいのは稲永競馬場、川中競馬場、岩倉競馬場などだが、まあここでは別物として考えておく。ちなみに豊橋競馬場、豊川競馬場、一宮競馬場などはどこにあったのかもよく分かっていないらしい。稲永は名古屋市港区のもう少し海寄りの地域(現在の一州町)に5年ほどあった競馬場。川中競馬場は西春日井郡にあったらしい。正直よく分からん。
上記の競馬場のうち、もっともポピュラーなのは岡崎競馬場で、移転を挟みながらも大正の末期から昭和28年まで存在しており、戦後まもなくは県で唯一の競馬場となっていた。
そのため地方競馬法の施行直後は、県営競馬・そして名古屋市営競馬までもがこの岡崎競馬場で行われていた(当時は「戦災復興」のお題目のもと、いろんな自治体が競馬開催に相乗りできたのである)。ちなみに岡崎競馬場はその後移転して、現在の中京競馬場となるんだな。
一方で、岡崎だけではなく、名古屋にも競馬場を作ろう、という動きが戦後の同時期に起こってくる。その流れで昭和23年1月に名古屋競馬倶楽部という団体(民法上の組合)が名古屋市港区土古町の土地を名古屋市土古地区区画整理組合から借り受け、工事に着手。ここで名古屋競馬場の現在地である、港区土古地区が出てくるわけだ。
しかし、工事を始めたところでタイミングよく競馬法が改正され民間による競馬運営が禁止となってしまい、国営競馬と自治体の公営競馬だけが法律でOKということになった。したがって、名古屋競馬倶楽部は一生懸命作っていた競馬場をほっぽりださざるを得なくなったのである。
だが競馬主催者となった愛知県は、昭和23年の10月にこれまた競馬主催者の指定を受けた名古屋市と話をして、中断していた名古屋競馬場を完成させて、ここで公営競馬をやろうということで合意することとなった。
つーわけで、愛知県と名古屋市はこの事業を共同処理する機関として昭和24年4月名古屋競馬場管理組合を設立。直ちにさっき出てきた名古屋競馬倶楽部から諸般の権利等を継承し、農水省の承認を得て工事を継続させたのである。
そして、昭和24年5月に、現在と同じ、幅員23メートル、一周1100メートルの馬場及び投票所などが完成。昭和24年6月には第1回県営名古屋競馬開催が開催され、現在に至る、というわけなのです。
ざっくり要約すると、名古屋競馬倶楽部という民間団体が戦後土古に競馬場を作ろうとしたけど、法律が変わったので、それを愛知県と名古屋市が引き継ぐ形で名古屋競馬場ができたと、いうことだけ覚えて頂ければOKです。
計算上は60年以上当地で同じコースでやっているということで、なかなか伝統ある競馬場と言っても差し支えないだろう。まあ、あまり伝統ある感ないんだけど。
現在の名古屋競馬場を上から見た図はこちら。
昔は厩舎もあったらしいが、現在は周辺の発展により弥富トレーニングセンターに移転している。荷桁は現在の土古公園が厩舎のあったところだと踏んでいるのだが、どうなんだろうか。昔の航空写真とか見てみんと分からんな。そのために図書館に行くのもなんだから、適当に濁しておこう。
最近でこそ、飲食チェーンやコンビニなどのロードサイドのお店やなんかもできて、いわゆる名古屋市中川区・港区周辺にありがちな車を中心とした賑わい方をしているものの、完成当時は周りは田んぼばっかりだっただろうに。
今思えば、もう少し都心に近いあたりに名古屋競馬倶楽部が土地を求めていたらと悔やまれる。まあ、あおなみ線の開通後はだいぶ便利になったとは言え、こっち方面じゃない方が行くというとちょっとおっくうな距離だよなあ、などとも思ってみる。そこまで言っては名古屋競馬倶楽部にもかわいそうな話なのだが。
まあ、でも確かに戦後の名古屋で平坦な遊んでいる土地に限定して都心に近いという点ではここはわりといいチョイスだったかもしれないな。地域的にもギャンブル人口が多そうなところだし。
名古屋競馬場はその歴史は古いが、お隣の笠松のオグリキャップや岩手のメイセイオペラのように語り継がれる伝説の馬というのはそんなにいない。アラブが多かったというのもあるだろうな。
そんな中、中央クラスで通用したということであえて挙げるのであれば、86年のオールカマーを勝ったジユサブローであろうか。オールカマー勝ちの後はジャパンカップでも人気するなど、日本中にその名をとどろかせた馬である。
さらに騎手でも坂本敏美騎手という天才を輩出している。
荷桁はまったくリアルタイムでは見たことがないのだが、名古屋において天才騎手の名をほしいままにした伝説中の伝説のような騎手である。
全盛期は連対率5割、勝率3割が当たり前など、残された数字だけでも化け物じみているが(現在の騎手も近い数字を残しているけども、坂本騎手の時代は騎手の所属人数も多くレベルも今よりはるかに高かった)、ちょっと前の武豊TVであの安藤勝巳が「若い頃憧れた騎手や現在一目置いている騎手はいますか?」という質問に対して、東海公営時代を振り返り坂本騎手の名を挙げて「絶対勝てない思った」と語っていたのがそのすごさを物語っている。
アンカツ曰く「あの人が乗るとなぜか馬が動く」「同じ馬に自分が乗ったりすると分かるけど、全然動きが違う」とのこと。確かにレベルも低くかつ小回りダートの名古屋や笠松だと、前に行ききれて馬の力が発揮できる騎乗というのは勝利に直結するのはイメージできる。強い馬がまわってくるだけでは到底できない芸当だろう。名古屋だけなく、笠松でもすごかったというのだから、恐ろしい話だ。
ただ、そんな坂本騎手は昭和60年に落馬事故を起こし、騎手生命を絶たれている。非常に残念な話だ。
ちなみに、怪我で引退した年の成績は1月~7月19日までで272戦104勝。勝率3割8分、連対率6割9分で最終的には勝ち鞍一位のリーディングであった。鼻血が噴き出しそうな成績である。
NHK名古屋あたりで坂本敏美騎手のドキュメンタリーとか制作してくれないかな。中日新聞のノンフィクションでもいいよ。すごかったわりに、あまり資料が残っていないのが悔やまれる。
なんか、名古屋競馬の歴史について語っていたら、長くなってしまったな。
久々に字ばかりになってしまったが、次回からは写真も使ってやってまいります。というわけで、名古屋競馬場レポート続編、はじまります。
>>名古屋競馬場レポートその6へ
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