日本国内、海外の競馬場の訪問記です。こんなことしてていいのかなあ。でもやめられない。
そこに競馬があるから > 高知競馬場 > 高知競馬場 その8 ~高知競馬の公的歴史と私的な想い出~
高知競馬場
*高知競馬場レポートの続編です。
初めからお読みになる方は高知競馬場レポートその1からどうぞ。
どうも。荷桁です。タイトルを見ていただけましたらお分かりのとおり、今回からは高知競馬場レポートでございます。これまでこのブログには、2008年夏に高知競馬場を訪問した際の様子をまとめた4本のレポート、そして2009年冬に再度訪問した際の様子をまとめた3本のレポートと、計7本のレポートがある状態でしたが、その後はレポートが拡充されることもなく、けっこうな年月が経ってしまいました。
荷桁は2009年からしばらく大阪に居を構えていたため(本レポート執筆時は東京に転居)、高知は高速バスでしれっと行ける距離だったのですが、それが逆に「行こうと思えばいつでも行ける」という余裕になってしまい、高知競馬場以外の未訪問のレース場に行くことを優先しているうちにけっこうな年月が経ってしまったのでありました。
しばらくはそんな状態だったのですが、その後、西日本のレース場もだいたい訪問できてしまったこともあって、そろそろ久しぶりに行ってみるかということで2018年の12月、さらに2019年の2月に再び高知競馬場を訪れたのでありました。そんな訳でここからしばらくはその2度の訪問で見てきた情報をもとに、久々の高知競馬場レポートをしていければと思います。
尚、既存の高知競馬場レポートは、まだこのブログが開設間もなく試行錯誤していた時期のレポートで、内容もどちらかというと薄目です。今回からのレポートではそのあたりも補完すべく、ねちっこく高知競馬場の様子をご紹介していければと思いますので、そのあたりも含め、どうぞよろしくお願いいたします...
さて。っつー訳で久々の高知競馬場レポートである。
繰り返すが、これまで荷桁は2008年と2009年に高知競馬場を訪問し、その時の様子をレポートにまとめている。08年の様子はこちらのレポートを、09年の様子はこちらのレポートをそれぞれご覧いただけると、話が早くて助かるぞ。
さて。それにしても最初に訪問した08年と現在では高知競馬場を取り巻く環境ががらっと変わっているので、どうしても、まずはそのあたりの話からしなくてはならないな・・・。
以前のレポートでも少し触れたが、今一度、高知競馬場の歴史やカルチャー的なところをおさらいしておこう。
高知競馬場のある高知市は、高知県の県庁所在地で人口は32万人ほどだ。21世紀に入ってからしばらくは33万人程度で安定していたが、ここ数年は漸減傾向にあるようである。ただ高知県の人口の半分弱が高知市に集中しており、県内においては、いわゆる一極集中都市であると言える存在だ。県全体では人口が70万人を割り、これは戦時中の高知県の人口よりも減っているとのこと。また、都道府県の経済的な豊かさを示す統計などでは軒並み下位にランクインすることも多く、まあお世辞にも金持ち県という土地ではないというのは確かである。
とは言いながら、高知という土地が持つ独特の魅力というのは経済的な豊かさだけでは測れないものがある。いわゆる幸福度ランキング的なものでは特段高い数値が出ている訳ではないのだが、まあ、傍目で見ている分にはのんびりしているように見えるし、以前に会話した関西から高知にUターンしたという若者は「そりゃ収入は低いけど、やっぱり暮らすなら高知が一番だ」というようなことを言っていた。
そこだけ切り取って他所者がぐじゃぐじゃ言うのもどうかと思うが、いろいろな問題を抱えつつも、なんとなくそこで生活している人たちはうまく折り合いをつけて、地域社会が殺伐としないようにやっているようには見受けられる。勿論、高知に限った話ではありませんがね。
上記の雰囲気はなんとなく高知競馬場の雰囲気にも通じるものがあると個人的には思っているため、このあたりの地域性を頭に入れておいていただいた上でこの後のレポートも読み進めていただけますと幸いでございます。
さて。ここからは高知競馬場の歴史についてだ。字が多いがそのへんは勘弁してくれたまへ。もし、こんな長い文章読めるか!という方がいらっしゃいましたら、こちらの高知県の公式ウェブサイトに高知競馬場のざっくりした沿革があるので、そちらをご参照くだされ。
一次資料にあたっていないのでよくないのだが、ネット上の情報を見る限り、高知は明治以前から祭典競馬が多く行われていた土地柄のようで、1908年に競馬規程(ざっくり言うと無法な馬券の発売を抑制しつつ競馬開催を政府が公認しコントロールする制度)が制定されると、県内には常設の競馬場が設けられ定期的な競馬が行われるようになったとのことだ。
そんな流れの中で、1916年、南海馬匹改良株式会社という会社が高知市の桟橋通5丁目に1周約800mの競馬場(旧・桟橋競馬場)を建設し、高知県畜産組合連合会がこれを借り上げる形で競馬が開催されるようになり、これが現在の高知競馬場の源流になっている。1927年には地方競馬規則(競馬を開催するには地方長官の許可が必要、主催者は畜産組合・畜産組合連合会または馬匹改良を目的とする団体に限る、都道府県ごとの競馬場の数と開催日程などをいろいろと規定した規則)が施行されるが、それ以降も桟橋競馬場では高知県畜産組合連合会の主催で開催が続けられることとなった。一方で同時期に土佐山田競馬場(現在の香美市)においても地方競馬が行われるようになった。
土佐山田競馬場における開催は1933年春をもって廃止となったが、代わって長浜競馬場(現在の高知市長浜)において開催されるようになった。これで高知における競馬場は桟橋と長浜の二場体制になったのである。ところが、1939年、軍馬資源保護法公布により地方競馬が軍用保護馬鍛錬競走に切り替えられると、長浜競馬場は軍用保護馬の鍛錬場となったのに対して、桟橋競馬場は廃場となってしまったのである。
旧高知競馬場にほど近い、桟橋通5丁目電停
戦後になり地方競馬法が公布されると、同年長浜競馬場において地方競馬が再開され、1948年に競馬法が公布されて以降はいわゆる公営競馬となり、高知県と高知市が主催者となった。ところがなかなかうまくいかないもので立地の問題もあり馬券売り上げが不振だった長浜競馬場は1950年に廃場となってしまうのだ。だが同年には比較的中心市街地に近い桟橋競馬場が再建され、そちらに開催地を移して開催は続けられることとなった。一時長浜での開催がメインとなった高知の競馬は桟橋に戻ってくることになったのである。
以降、1985年まで高知競馬場と言えばすなわち桟橋の競馬場を指していたのだ。桟橋競馬場、いわゆる旧高知競馬場については山口瞳氏の名著『草競馬流浪記』がいい感じにレポートしてくださっているので、そちらをご参照くだされ。
そして1985年には今度は桟橋競馬場が廃場になり、現在の高知市長浜宮田2000番地に移転。すなわち現在の高知競馬場がオープンする。実際に桟橋競馬場が廃場になり、現在地に競馬場が移転したのは1985年のことだが、高知県のウェブサイトによると、競馬場を移転するということ自体は1973年には決定していたようだ。その移転の先、すなわち現在の高知競馬場の所在地は住所にあるとおり高知市の長浜地区(旧長浜競馬場とは別の場所)にあたる。そう。高知県の競馬は桟橋に始まり長浜に移り、また桟橋に移り、そしてまた長浜に戻るという変遷を遂げているのである。
現在地に移転以降は、ナイター化などいろいろあったが、ひとまずの今のところは現在地での開催が続いているというのが高知競馬場の流れである。長くなりましたが、そういうことなのでございます。
そんな長い高知競馬場の歴史の中で、荷桁が最初に同場を訪れた2008年という年は、高知競馬場が文字通り「ドン底」の時期であった。
2000年に111億円を超えていた高知競馬の売り上げはその後どんどん下がり続け、荷桁が訪問した08年に過去最低の38億8100万円にまで落ち込んだのであった。当時荷桁は大学4年生で、友人と共に高知競馬場に行ったのだが、その理由は「早く行かないとなくなっちゃうから」という身も蓋もないものであった。但し、08年度の高知競馬は実は史上最低の売上だったのにもかかわらず、単年度黒字を確保している。そう。ご想像のとおり、賞金を切り詰めて切り詰めてどうにかこうにか黒字を出したのだ。04年から07年まで4年連続で赤字を出していたため、売上が下がろうが、黒字を出さないとどうしよもないレベルに追い込まれていたのである。
これは荷桁が訪問した08年8月3日の高知4レースの締め切り9分前の単勝オッズである。下部に売上票数が表示されているが、なんと2000円しか売れていない。ちなみに当該レースの1着賞金は9万円。総賞金は13万7000円だ(クラスはE2)。この日のメインレースはA級戦だがこちらは1着賞金が18万円だ。お時間がある方は昨今の高知競馬の賞金水準をお手すきの際に見ていただきたい。これらの金額が如何にヤバいかというのがお分かりいただけると思う。
当時は廃止になってしまった荒尾や福山はじめ、道営、笠松、金沢、岩手など高知以外にも多くの競馬場(競輪、オート、競艇もか)が苦境に喘いでいたが、どこも有効な手立ては打てないでいたというのが実際のところであった。
高知競馬場においては、場外馬券売り場「パルス高知」の売店に勤めていた女性が運営していた『売店の平田さん』というブログがネットで注目を集めていたことから、いつの間にやら平田さんが高知競馬を盛り上げる広告塔になってしまったりもしていた。今思えばよくも悪くもとんでもない話だが、それくらいリソースもアイディアも枯渇していた時代なんだろうな。
ただ、そんなジリ貧路線(平田さんがダメとかではなく)がいつまでも続くわけではない。もっと抜本的な改革が高知競馬(だけでなく公営レース全体)に求められていたのもまた事実である。
そんな中、高知の試行錯誤が光明をもたらすことになる。08年に試験的に一部の日程で薄暮開催である「夕焼けいば(ゆうやけいば)」を実施したのだが、これが好評だったのだ。結局試験期間は延長され、春から夏にかけての開催はほとんどがこの薄暮日程で開催されることとなったのだ(荷桁の訪問時はまさにこれだった)。つまり、時間をずらして開催すれば売り上げが伸びるかもしれないという手応えをここで関係者は得たのである。
奇しくも06年から通年ナイターを実施していた蒲郡競艇場が08年、遂に全国の競艇場で売り上げトップに立ち、ナイター開催の実効性が顕在化してきたのがまさにこのタイミングでもあったのだ。
そして、09年4月28 日。ついに高知競馬から、通年ナイターの実施が発表される。
その時、高知競馬の公式ウェブサイト上で発表された文章は以下のとおりであった。
高知競馬場では、インターネット環境が充実・発展し続ける今日、県内のお客様だけではなく、全国の競馬ファンの皆様に“もっと高知競馬に親しんでもらいたい”との熱い思いから、本年度ナイター設備を整備し、実施することといたしました。
高知競馬のナイターは、温暖な気候という利点をフルに活かし、全国で初めて1年中開催いたします。
そして、思う存分全国のファンの皆様に高知競馬を楽しんでいただき、今後、高知競馬がファンの皆様とともに大きく飛躍・発展できれば、大変嬉しく思います。
全国の競馬ファンの皆様、7月10日(予定)から始まる高知競馬のナイター開催を、どうかお楽しみにお待ちください。
高知県競馬組合 管理者 片岡万知雄
そう。この時高知競馬はハッキリとインターネット投票のパイを狙いにいくことを宣言して、そこに賭けていたのだ。そして高知競馬がその賭けに勝ったのは皆さんご承知のとおりだ。08年に底を打った売上は、ネット投票(スマホの普及もでかかった)の伸びと同調する形でまさに”爆上げ”を果たし、08年度に38億8100万円しかなかった通期売上は19年度は570億円にまで上がったのである。
このブログの過去のレポートを読んでいただければ詳細が記載されているが、09年の12月に高知競馬場の夜さ恋ナイターを訪問した際には送迎バスも廃止されていて、最終レース終了後、路線バスが走っている街まで2キロ以上、街灯もろくにない道を徒歩で帰ったりと、観戦環境もとんでもないことになっていたが、現在は送迎バスも復活し、旅打ちもしやすい競馬場に戻っている。確かに、馬券を買い支えているのは高知在住じゃない馬券ファンなんだからその人らが来たいときに来られるようにしておいてもらわんと困るわな笑
とは言いながら、何でもかんでもうまくはいかないもので、ナイターで売り上げは右肩上がりではあるが、入場者数は低調な状態が続いていて、競馬場本場の賑わいというところではやや課題を残しているというのが実際のところだ。ネットでうまくいっているのだからネットに振り切ってしまえというのも分からない考え方ではないし、とは言え、高知競馬がそのとおり本場へ来るお客さんを粗末にしているかというと全面的にそういう訳でもないし、まあ微妙なところだ。そのあたりのニュアンスも、後のレポートから感じていただければと思います。
さて。そんなわけで、やや長く、文字だらけになりましたが、高知競馬の歴史やら近年の流れやらをご紹介させていただきました。ここまできちんと読んでいただければ、だいたいの高知競馬のバックボーンはお分かりいただけるかと思います。まあ、よく分からなくてもこの後のレポートを読んでいただく分には大勢に影響はありませんのであまり気にせんといてください。
それでは次回から久々の高知競馬場の様子をレポートしてまいりたいと思いますので引き続き何卒よろしくお願いいたします・・・。
>>高知競馬場レポートその9へ
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